主体的、能動的な姿勢を忘れず占う!

占いをするにあたって、何を知りたいかということをちゃんと自分で整理できているかどうか、というのは、実はとても大切なことのように思います。

私なんかの感覚でいうと、ちゃんとした占い鑑定をしてみようと思ったら、占い師さんのいるところにわざわざ出向いて行って見てもらうとか、ひと昔前であれば、夜とかに街角や商店街の片隅に、ぽつんと座っている感じの易者さんにみてもらったりとか、そういうのが占いの主だったものであったと思います。

いまは、簡単なものであれば、無料ででもインターネットでそれなりの占いは出来ますし、まぁそのくらいのものでよければ、それでもいいですし、もし、ネット上のものでも、ちゃんと会員登録とかすれば、相当に詳しい鑑定結果を見ることができちゃいますよね。

個性心理学の動物占いなんて、まさにそんな感じの占いの代表格だと思います。コンテンツはものすごい量ですもんね。

さらに発展させて、電話で占い師さんと話ししながら、鑑定してもらったり、遠隔的にヒーリングをしてもらったりするものもあったりと、ホントにいろんな方法を選べる時代になりました。

こういうふうに、いろんな選択肢ができると、以前よりもより自由であると言えるのですが、こういう時に常に付きまとうのが、迷うことが増える、ということでしょうか。

人間にとっては実は、些細なことでも、選択をするという行為は、ある種のストレスを引き起こすものであるとも言われます。

そのストレスを避ける方法として、自分では考えないっていう方法をとってまうこのともあり得るんですよね。

占いの種類はたくさんあるってこと書きましたが、たくさんあると、どれがいいか迷います。

そして、ある占いをしてみて、なんとなくしっくり来ない…なんていうことがあると、別の占いでもみてもらいたくなる…

そんなことを繰り返していくと、いま結構、占い業界で話しが出てくる、占いジプシーという状態に陥ったりしてしまうことがありますね。

だんだんと、何が知りたくて、何を見てもらいたくて、ということがボヤけてきてしまうようなことになりかねません。

私が思うに、占いをするときには、まず何を見てもらうか、そして、結果を自分で予想してみておくのはひとつの方法だと思います。

そうすることで、鑑定結果が告げられたときに、予想と占い結果を比較するという、能動的というか、主体的な作業が生まれます。

どんな形にしても、いくら見てもらうと言っても、自分で考えたりするという作業はどこかに置いておく必要があるんじゃないかと思うんですね。

自分が主人公なんだということを忘れないで、気持ちを落ち着けて占いをすることは、とっても大切なことなんじゃないかという気がします。